1941〜1950


1941(昭和16年)
  55歳
    山本八重子と結婚。
1942(昭和17年)
  56歳
    『かの子の記』刊、1月太郎出征。
1944(昭和19年)
  58歳
    八重子と子供達を連れ浜松に疎開、翌年岐阜県加茂郡西白川村の新田亀三宅に疎開。
1946(昭和21年)
  60歳
    漫俳(俳句と川柳の中間をいく自由俳句)創始。太郎中国より復員し、一平を訪ねる。
1948(昭和23年)
  62歳
    疎開先の岐阜県加茂郡古井町で「迷悟一休」(遺稿)を最後に脳溢血で倒れ死去。
 

 

   
       
   
 

一平晩年

 

 

一平とこども達

  一平のデスマスクを描く太郎