1921〜1930

1921(大正10年)
  32歳
 
このころ一平と共に仏教に傾倒し、総持寺の新井石禅師、建長寺の原田祖岳老師に教えを受ける
1923(大正12年)
  34歳
 
鎌倉に避暑し、同宿の芥川龍之介を知る。この印象を後に「鶴は病みき」に創作。
1924(大正13年)
  35歳
 
関東大震災で避難していた島根の恒松家から赤坂区青山南町に転居。痔の手術の為入院した慶応病院で外科医新田亀三に一目惚れ。
1927(昭和2年)
  38歳
 
熱海梅林を訪れた帰路で芥川龍之介と再会。1925年歌集『浴身』に続きこの年、合同歌集『現代名家女流短歌集』を刊行、随筆依頼が飛躍的に増える。7月、芥川龍之介が自殺。
1929(昭和4年)
  40歳
 
合同歌集『女流十人歌集』、『散華抄』、歌集『わが最終歌集』を刊行。12月、一平のロンドン軍縮会議取材に、太郎、新田亀三、恒松安夫と共に渡欧。
1930(昭和5年)
  41歳
 
パリ観光の後、太郎を残してロンドン・ハムステッドの寓居に落ち着くが、9月第1回目の脳充血で倒れる。
   
 
   
 
鎌倉平野屋にて 『浴身』

渡欧中箱根丸船上

パリでのかの子