1931〜1940

1932(昭和7年)
43

パリ、ベルリンと居を移し、1月、パリにいる太郎と再会し、将来を語り合った後アメリカ経由で3月、帰国する。帰国後たてつづけに西欧紀行文を発表。
1933(昭和8年)
44

このころ川端康成らが創刊した『文学界』同人に自宅の一部を提供、金銭援助する。12月父・寅吉死去の通夜で第2回目の脳充血に倒れる。
1934(昭和9年)
45

仏教研究会や地方公演など仏教界のスタートとなる。第一随筆集『かの子抄』、書き下ろし『仏教読本』、『人生論』を刊行。
1936(昭和11年)
47

太郎の画友セリグマン来日、一平と歓迎する。芥川龍之介を題材とした「鶴は病みき」を『文学界』に発表、10月に第一創作集として『鶴は病みき』刊行。
1937(昭和12年)
48

3月、「母子叙情」を『文学界』に発表、10月、「金魚撩乱」を『中央公論』に発表、第三随筆集『女の立場』刊行。
1938(昭和13年)
49

亀井勝一郎と親交を持ち始める。「河明かり」「老妓抄」を中央公論に発表、第四創作集『やがて五月に』、第五創作集『巴里祭』を刊行。慶応の学生と油壺へ出かけるが3回目の脳充血に倒れ自宅で療養する。
1939(昭和14年)
   
   

2月病状が急変し入院、2月18日永眠す。以後の作品は一平によって発表される。第六創作集『老妓抄』、第七創作集『丸の内草話』、第八創作集『河明かり』刊行。
青山自宅にて かの子

『鶴は病みき』 『生々流転』