1931〜1940

1932(昭和7年)
  21歳
 
ピカソの作品を見て衝撃を受け、抽象芸術を志す。翌年、非具象芸術グループ「アプストラクシオン・クレアシオン」(抽象・創造協会)に参加し、アルプ、ブランクーシ、カンディンスキー、ミロなど多くの前衛芸術家たちと活動
1937(昭和12年)
  26歳
 
前年よりクルト・セリグマン等と「ネオ・コンクレティスム」(新具体主義)を提唱し、この年「アプストラクシオン・クレアシオン」を脱会する。はじめての画集『OKAMOTO』がG.L.M.社(パリ)から刊行される。
1938(昭和13年)
  27歳
 
パリ大学でマルセル・モースに師事し民族学を学び始める。国際シュールレアリスムパリ展に《傷ましき腕》を出品。
1939(昭和14年)
  28歳
 
この頃ジョルジュ・バタイユら思想家と親交を深める。パリ大学民族学科卒業。母・かの子死去(享年49歳)
1940(昭和15年)
  29歳
 
ドイツ軍のフランス侵攻により、最後の引き揚げ船・白山丸で帰国。
 
 

 
   
パリのアトリエ・横光利一と  




《リボンの祭り》   《傷ましき腕》