過去の展覧会
「クルト・セリグマンと岡本太郎」
岡本太郎(1911-96)はパリに滞在中の1933年、前衛芸術家の団体アプストラクシオン・
クレアシオン協会に参加し、多くの芸術家たちと親しく交わり、とりわけクルト・セリグマン
(1900-62)とは同協会員の中でも最も深く交流を持ちました。
1934 年頃のセリグマンの作品と岡本の《空間》《リボン》のシリーズには、暗色の背景に
抽象的ながら量感を持ったモチーフを描き出すなど、共通する部分が多く見られます。
特に両者ともに「リボン」をモチーフとした作品を生涯を通じ制作していることから、
岡本はセリグマンの影響を濃厚に受けたといえます。
セリグマンによる1930 年代前半の言説にも、岡本が後に提唱することとなる「対極主義」
と大きな関係があると考えられます。
1935 年には、セリグマン、岡本、ヴュリアミの3人によりパリで展覧会が開催され、
それをきっかけに「ネオ・コンクレティスム」(新具象主義)が提唱されました。
また1936年、セリグマンがアルレット夫人と共に東京を訪問した際、パリの岡本太郎は、
父・一平に歓待するよう依頼し、一平の手配によってセリグマンは銀座・三越百貨店にて
個展を開催しました。それを機に「ネオ・コンクレティスム」は日本で脚光を浴び広く
知られることになります。
1939 年、ユダヤ系であるセリグマンはドイツ・ナチスの侵攻を察知し、活動の拠点を
アメリカ・ニューヨークへ移します。1940 年代以降、セリグマンはパリ時代の芸術家仲間を
ニューヨークに次々に招いて紹介し、ニューヨーク派シュルレアリストの重鎮として活躍しました。
彼の尽力により、岡本太郎も同地で1953 年にニューヨークで個展を開催しています。
その後、1951年開催の読売アンデパンダン展(第3回日本アンデパンダン展)における
マーク・ロスコやジャクソン・ポロックなど27 名のアメリカ人芸術家の出品、また1956 年開催の
「世界・今日の美術展」8名16点の出品も岡本とセリグマンの友情により実現されたものです。
本展は、岡本太郎の盟友であるクルト・セリグマンの作品を岡本の作品とともに紹介し、
岡本芸術の形成過程を探ると共に、両者の友情によって第二次世界大戦後の日本の美術界に
もたらされた影響の意義について検証する展覧会です。
会期
2020年10月24日 (土)-2021年01月24日 (日)開催概要
会期: | 2020年10月24日(土)~2021年1月24日(日) |
開館時間: | 9:30-17:00(入館16:30まで) |
休館日: | 月曜日(11月23日、1月11日を除く)、11月4日(水)、11月24日(火)、年末年始12月29日(火)~1月3日(日)、1月12日(火) |
観覧料: | 一般1,000(800)円、高・大学生・65 歳以上800(640)円、中学生以下は無料 ※( )内は20名以上の団体料金 ※常設展示とセットの料金となっております。 |
主催: | 川崎市岡本太郎美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会 |
協賛: | ライオン、大日本印刷、損保ジャパン、日本テレビ放送網 |
後援: | 米国大使館 |
協力: | The Seligmann Center of the Orange Country Foundation,Inc.,Weinstein Gallery, 堀内カラー、日本通運 |
助成: | ![]() |
みどころ
- ●セリグマンと岡本太郎の絵画・版画作品、戦後日本の作家作品、プライベート映像、資料など約130 点を紹介。
- ●岡本太郎に最も影響を与えた芸術家として知られるクルト・セリグマンと岡本との交流を紹介。
- ●パリでのセリグマンとの出会いから岡本太郎が自らの創造を方向付けていく過程を、様々な作品・
資料によりひもとき解説。 - ●二人の作品の共通点と、その根底に共有する「ネオ・コンクレティスム」(新具象主義)の紹介。
- ●セリグマンと岡本太郎、それぞれの「リボン」の捉え方と表現を比較。
展示構成
第1 章 クルト・セリグマンと岡本太郎
第2 章 アプストラクシオン・クレアシオン協会
第3 章 ネオ・コンクレティスムと国際シュレアリスト・パリ展
第4 章 読売新聞社主催「第3 回日本アンデパンダン展」(1951 年)と朝日新聞主催
「世界・今日の美術展」(1956 年)
第5 章 ニューヨーク・ヒューゴ画廊の「岡本太郎展」(1953 年)
第6 章 芸術は呪術であるークルト・セリグマンへのオマージュ
※企画展の写真・動画撮影はできません。
※新型コロナウイルス感染拡大の影響により、クルト・セリグマンの国外所蔵作品は原寸大パネルの展示になりました。